グラスマーブル誕生物語
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災のど真ん中にわたしは居ました。あれから、何年も経ち、もっと悲惨な地震に塗り替えられ、この阪神間の地域しか阪神・淡路大震災を語る方も少なくなって来ました。
朝、5:46という事もあり、わたくしはベットの上で家ごとシェイクされたように思います。揺れが収まり 慌てて外へ出ると、まだ外は暗く、慌てて家を飛び出してこられた近所の方の顔も解らないぐらい真っ暗です。
しかし、やがて集まった方の顔が薄っすら解るようになりました。夜明けではありません。東の隣町が火事になり、その明かりで顔が見れるようになったのです。
夜明けになると、近所の古い家は1階部分が無くなり、そこに寝ていた方は皆さん亡くなりました。
相棒(間宮)が、お母さんに電話したら?と言いましたが「いや、この分だと両親はもうすでに亡くなっていると思う。
亡くなったニュースは出来るだけ後に聞きたい。」と電話をしなかったのを覚えています。実際に電話は回線が繋がらなかったですし、何よりも同居していた相棒の両親の手助けが優先です。命があったのですから。
すぐさま、近くの中学校に避難して一旦落ち着きましたが、その夜はとうとう、電話が通じず両親の安否は解らないまま一夜を過ごしました。次の日、ようやく通じると両親のところの方が被害が少なく、生死に問題が無い事でひと安心致しました。
避難所では、トイレの水の為にプールの水をトイレ近くまでバケツで運ぶというのが当面の仕事です。
そして、飲み水をもらうために並ぶこと。災害は、何と言っても「水問題」が体力勝負ですね。初めての経験です。
お風呂にも入らずほとんどをこの「水問題」との対処で終わっていた日々でしたが、1ヵ月ほどたったある日、勤めている会社から電話があり、「請求書を起こせる人が居ないので、どうしてでも会社に出てきて欲しい。」と連絡。
そして、災害以来はじめて町風呂に6時間並んで、翌日からの出勤の用意を始めました。
そんな、震災の出来事の約4ヶ月後、わたくしの勤めている会社の親会社の家屋から「来月、出て行って欲しい」と急な通達がありました。
これも仕方が無い事です。親会社の別の建物が全壊になり、大勢の社員さん達の行き場が無かったのです。それで、わたくし達が追い出されるような段取りになりました。
通達があってから1ヵ月で出なければなりません。本社からは「辞めるか本社まで通うか?」とふたつに一つを選ぶようにと促され、いわゆるリストラに近い形です。半分の社員は、これを機会に退職しました。
しかし、わたくしと相棒は震災が起こったばかりの神戸では就職も出来ない。車で2時間高速を飛ばし、本社へ通うしか方法が無い。と存続を決めたのです。
そして、高速2時間の通勤を7年続けました。
お待たせ致しました。ここから、ビーズの話です。
その震災の1年後、親会社の事務の女性とひょんな事から自宅がとても近い事が解り、「一度お茶でも一緒に。」という話になり…この女性との再会が、ビーズとの出会いになりました。
ある日、その女性に京都へ遊びに行こう。と誘われました。京都にあるビーズ屋さん「イドラ」に連れて行って下さって、そして、なんと工具まで鞄に入れて持って来ておられ、落ち着いた喫茶店の奥まった誰も居ない隅で、わたくしにイドラで選んだビーズ玉でピアスを作ってくれたのです。
そんな楽しい一日から、もう瞬く間にビーズに夢中になり、自分の人生に仕事以外で打ち込むこんな楽しい事があったのか!と思うぐらい虜になりました。
あの阪神・淡路大震災が無ければ、彼女と再会する機会も無く、ビーズと出会う事も無く、そしてグラスマーブルをするという出会いも無かったのです。
まさに、あの阪神・淡路大震災がグラスマーブルをする事になったターニングポイントでした。
第二章 いつしか片付けられない事が悩みとなって
21世紀の幕開けとなったとき、何か新しい挑戦をしようということになりノートパソコンが我が家に来ました。
2000年と言うと阪神大震災から5年が過ぎたころです。会社では、ちょうどその頃、部署移動がありわたくしの仕事は電算室でのデータの打ち込みになりました。
急速にわたくしの生活がパソコン一色になって来ました。2年程たった2002年頃、電算室勤務でしたので会社のお金の流れがとても解り、このままだと会社が倒産する事を予感していました。
おびただしい程の残業をするも、残業費はもらえなくなり、そしてやがてボーナスも無くなりました。
次の決算の後は、お給料もカットされる。という状況に追い込まれた時、いよいよ2時間高速を飛ばして通った会社の退職を考える時が来ました。
退職金があるうちに退職しよう。
それを元手に何かを始めよう。
ある日、喫茶店で急速に心が動き相棒と退職への準備を考えたのでした。
一方、夢中になったビーズクラフトは、どんどん楽しさを増し、お休みの日になると街に出かけてビーズを買う毎日。
憑りつかれたようにビーズアクセサリーを制作していました。ビーズ屋さんにも入りびたり。本当に楽しかったです。
しかし、夢中になって作る作品達よりも もっと早い速度で 増えていくビーズ……その頃とてもお世話になっていたのが、耳付きのビニール袋と文明堂のカステラの箱です。
片付けなくっちゃ、奇麗なビーズがビニールに入ったままなんて嫌だ。いつしか片付けられない事が悩みになっていました。そう思ったわたくしは、さっそく2000年の始めに買ったパソコンでビーズの収納箱を調べました。とてもわくわくして検索したのに、どこを探しても無い。
第三章 お裁縫には裁縫箱があるのに、ビーズには収納箱が無い?
そんな、バカな!
お裁縫には裁縫箱があるのに、ビーズに収納箱が無いってそんな事がある?
何度検索しても、出てくるページは「代用品を使ってどう綺麗に整理するか?」の 記事ばかり。ビーズの優雅さや高級感のない便利グッズの集まりの様でした。
無いなら、わたし用を作る事にしよう!とわたしが欲しいと思うビーズの収納箱をスケッチしてみたのです。こんな事でさえ、ウキウキしたものです。
スケッチをして、工具はココに入れて、お気に入りのビーズはココ、そして 小さなビーズはこの引き出しにまとめたら。と考えれば考えるほど欲しくなってきました。
どうしても欲しい!世界にひとつだけの自分だけの「ビーズ収納バッグ」を作ろう。
第四章 わたしだけのビーズ収納バッグは到底無理だった。
…長年勤めていた会社を退職しました。この退職せざる出来事は、グラスマーブル誕生の大きな要因のひとつです。
インターネットで物販をするというプランは、この時点ではまだ現実のものでは無かったにしろ、失業保険をもらいながらも、何か仕事を始めなければならなかったのは必然です。
とは言え、とにかく「ビーズの収納ケース」は欲しい。
世界にひとつだけの 自分だけの「ビーズ収納ケース」を作る事は所詮かなわぬ夢かもしれないと思った日もあったのですがとりあえず、この世にカバン屋さんがあるなら、作れるかどうか聞いてみようと思い立ちました。
スケッチしたビーズ収納箱を 言葉にする事はとても難しかったので模型を作りました。
東急ハンズで、発砲スチロールの薄い板とちょう番を買い引き出しも付けてこれが形になったら…と、車に積んで、鞄製造会社に飛び込んだのです。
兵庫県の豊岡市に鞄団地というところがあり、あらゆるカバンを作っている会社がたくさん工場を持っていました。
まぁ、とにかく模型も作った事だし1件1件飛び込んでみよう。
鞄団地にある会社のほとんどに飛び込み尋ねてみましたが、しかし、いままでこの世に無いものを商品にするのですから
商品化するノウハウを持っている鞄屋さんがありません。
「作った事が無い。」
「作った事が無いので部品が揃わない。」
まるで 変な物を作るんだなーと言わんばかりです。
こうなると、ますます欲しくなります。
誰が何と言っても作らなければならないと考えていました。
運命が少しづつ動き始めた。と後でそんな風に思いました。
ちょうど お昼に工場付近の喫茶店で 焼きそばを食べこの会社を最後にしようかと思い門をくぐったその会社で、忘れもしない、
「作れますよ、ウチで!」
「作っていただけるんですか?」
「ええ、これを作る技術はあります。」
「では、お願いします。」
「いくつから製造しましょう?」
「は?いくつと言われますと・・?」
「最初のご契約は 100個くらいを目安にしていただきたいのです」
「そうですか……では、100個作って下さい」
わたくしと同じ気持ちで 「ビーズ収納箱」を探している方がいないはずが無い。
わたくし以外に99人探そう。と思ったんです。
こうやって、たったひとつの「わたくしのストレージバッグ」 が欲しいために皆様の分も作る事になってしまいました。
これがグラスマーブルを作る大きなきっかけとなりました。
ストレージバッグ
ビーズ収納箱は「ストレージバッグ」と名付けました。
ストレージバッグは、わたくしのように「ビーズ収納ケース」が欲しいと言う方が次々いらっしゃったわけではありません。
あまり売れませんでした。しかし、確実に買って下さった方は「私の為に作って下さってありがとう。」そう言って下さるのです。
そう言いつつも、このストレージバッグは新色なども作り約400個は販売させて頂いたと思います。わたくしは5個持っていますので、395個は確実にお客様の手元で元気に可愛がってもらっていると信じています。
第五章 ビシっと寸法の合ったビーズケースが絶対に必要。
ビーズ収納ケース「ストレージバッグ」の製造場所は決まりました。そして、次に思った事は「ビシッと寸法の合ったビーズプラスチックケースが絶対に必要だ」と考えていました。
収納ケースがあっても、ビーズプラスチックケースがなければ、奇麗に整理することは出来ません。もちろん、ここに来て 市販のプラスチックケースには頼れません。代用品はあくまで代用品でしか無いからです。
先ほどご紹介しました勤めていた会社にいる時に、小さなプラスチックケースを手に入れる事が出来ていたわたくしは、これは非常に便利な大きさだと思っていました。
しかし、震災後 勤め先の会社の取引先が変わり、そのプラスチックケースを扱っている会社が見つかりません。
すでに 取引が無くなってから8年も経っていたので 名前も電話番号も解らない状態。
そして、その会社との間には また別の会社が中間で入っていました。とりあえず、その中間の会社の名前だけは覚えていたので電話を掛けたら、このような答えが返ってきたのです。
「あんた、よその会社のケースをそんなに簡単に分けてくれると思てるのか?そんな虫のええ話に、うちは乗れません。連絡先は教えられませんわ」と。
私が気に入っているプラスチックケースを使っている会社から断られるならまだしも中間の会社の方から、「虫のいい話」と言われてしまった事に、ひどくショックを受けました。このままだと ストレージバッグの試作にストップをかけなければならない。あきらめたくはない。
このプラスチックケースを用意しなければ、ストレージバッグを作る意味が無い。と焦っていました。
しかし、思わぬ偶然があったのです。
ある店でそのプラスチックケースを持つ会社のまったく別の製品を見かける偶然に、身体に電気が走りました。
さっそく、チラッと見たその会社名を覚えて 我が家の2000年パソコンで調べ即 電話をしてみました。
この電話をするのは怖かったです。
中間業者さんから 「虫のいい話」という言葉にショックを受けていたのですからまた
わたくしは「虫のいい話」をするんだな…なんて言われるか怖い。
でも、やっぱりココを超えたい。
あのケースがどうしても必要なんだ。
しかし、お電話に出られた方は 若い事務の方ではございましたがとりついで下さった上司の男性の方も、丁寧に応対をして下さいました。次の社長会議までこの件は保留にしていただけますか?とさすがに大きな会社から受けるコメントではありませんか。
心痛の為か、自律神経失調症になり通院していた病院で名前がよばれるのを待っている時です 。病院だと言うのに 携帯電話が高らかに鳴り出しました。
「社長からのOKが出ましたので、 詳しいお取引の話をしましょう。このケースは、当社にとっても売り物ではございませんので、金額の規定が無くただ今から、営業と相談の上 見積もりを出させていただく事になります。」
こうやって、最初は やはりちょうどいい代用品を扱う事になりました。そして グラスマーブルは、このストレージバッグとビーズケースが手に入る事によってオープンへの舵取りとなって行きました。
第六章 もう一つのビーズ道楽としての不満
ストレージバッグの生産も動き始めました。ビーズプラスチックケースの仕入も決まりました。
しかし、もうひとつわたくしには許せない道具がありました。
ビーズをする為の「作業ボード」です。
豊岡鞄団地で生産を決めた帰りの車の中で、99人探すとなると、インターネットの販売をしたらどうだろう。と相棒が提案しました。
そう決まった時から、それなら アクセサリーを作るためのビーズ用作業ボードも作って、皆にも使ってもらおう!
今のままでは、きっとみんなは困っている。
すでにビーズの収納で困りつつも、ワークボードでは納得いくものと出会っていなかったんです。
この頃より販売されていたビーズデザインボードは有名ではありましたが、わたしが使いたい形はこれでは無い。
色も気に入らない。欲しいボードは、作業する面が広く自由に使えるもの。
そして、この作業用ワークボードもオープンまでに間に合うように作るために、仕入先行脚を始めました。
わたくしがこのワークボードにこだわった点は、作業面が柔らかすぎず堅すぎず、ミニビーズが上手くすくえること。
転がるビーズをキャッチする枠が必要である事。
そして、ビーズ道楽ですから高級っぽく見える工夫が必要でした。そうなると木製で塗装された物じゃないと納得いかない。
木製製品を作るところなら簡単に作れるだろう。と思っていたのですが現実は違いました。
ビーズレーンが上手く作れない。枠の高さが思うように作れない。
極めつけが、作業面の布が上手く貼れない。貼れたとしても、中の接着剤が浮いて出てくる。
最初に切磋琢磨してあれこれ考え試作品を繰り返して下さった会社さんはとうとう匙を投げ、当社では無理です。と終わりを告げられました。
ワークボードの生産は振り出しに戻りました。
第七章 さらにもっと、もっとの収納ケース「チェスト」が必要だ。
一式収納できる持ち歩きも可能なビーズストレージバッグ、そしてビーズケース。
雲行き怪しくなったワークボード。
しかしわたくしはさらに、もっともっと収納力のある引き出しがわたしたちの世界には必要なんだ。と思っていました。
生産は想定内。もう、すっかり退職金は無くなったけれどアクセサリー作りをする人が欲しくなるものは、わたしなら解る。きっと欲しいものが一緒だ。と自信を持って、次の「ビーズチェスト」の生産に動きました。
「ビーズチェスト」は、静岡家具で作る事に決めました。これも、突然の出会いからお願いすることになりました。
高級小物家具を作る工場でしたので、引き出しを作るのはまったく問題が無く安心してお任せする事が出来ました。
ビーズプラスチックケースがピッタリ収まるビーズチェストです。
すでにビーズプラスチックケースは決まっていましたので、チェストのサイズを決めるのは簡単な事でした。
そして、頓挫していたワークボードもこの会社で解決することになり、それなら…ビーズチェストの上にワークボードをスタッキングできるように作ろう。という嬉しいおまけまで実現しました。
本当に、ここまで来た!そういう気分でした。
ワークボードは特許庁の「意匠登録商品」となりましたが、この「意匠登録の出願」となったきっかけは、最初の生産に匙を投げた会社さんが「自分のところではこれは作る技術が無かったけれど、もし実現したら特許を取るべきだ」と進めて下さっていました。
本当に商品が出来上がらなかったことに残念と思って下さったに違いありません。
なんて良いアドバイスを下さったのか。と今でも感謝している言葉です。
ライン
第八章 グラスマーブルのオープン
ビーズチェストには生産までの時間がかかり、グラスマーブルの立ち上げは、「ストレージバッグ」「ワークボード」「ビーズケース」「工具」で始まりました。
お店のオープンは、2003年9月15日の事です。
インターネットの販売は、身内だけが華々しい気持ちなだけで、世間のスーパーや新装開店のお店のように賑やかな物ではありません。
ただ、パソコンの前で今日、オープンだよねーー。と言うだけです。
とは言え、まだまだサイトの構築ではする事が山ほどありましたので、一瞬、オープンだよねー乾杯!と言った後は、ひたすらパソコンに向かいます。
今思うとなんて簡単すぎるオープンだったのか?と思う程です。
1ヵ月位たった頃、ぽつりと注文が入りました。ワークボードの注文です。
それからポツリ、ポツリと忘れたころに注文があるような状態でしたが売上よりも、寄せて下さるお客様の声に励まされ、そしてパソコンに向かって泣きながら「ありがとうございます。」と書く日々でした。
今はレビューなどという事で、お客様にお願いして感想をお聞かせいただく時代ですがあの2003年の頃は違いました。
どの方も、お返事をくれるのです。そして商品に対するアドバイス。
いつだったか、ピアススタンドを販売していた頃があったのですが、その中のひとつに安定感の問題について教えて下さった方がいらして、その方は、長く当店の商品をお使い下さっていたので、
彼女の言葉を信じて、販売を辞めるという一件もありました。
グラスマーブルは、お客様の数々の言葉で新しい商品やそして商品の進化を整えて来ました。
第九章 オープンしてからは、作るよりも難しい問題
1)ストレージバッグの思わぬ終焉
オープンから瞬く間に2年。
わたくし達もまだ若く次々に新しい挑戦をしようとしていた頃です。
2年目にして「有限会社」にしました。
ちょうど次の年に「有限会社」という制度が無くなると聞いておりましたので、今年がチャンスと思いきりました。
さて、オープンしてから少しづつ「ビーズ収納ケース」を探す人も増え、ストレージバッグは憧れの収納バッグとして、「今、お小遣い貯めてます!」というお客様の声と共に生産をしていました。しかし、実は私たちは火の車でした。
なかなかお客様にお送りできる「A品」が出来てこないのです。
生産をする1/3はB品として、工場に送り返し作り直しをして来ました。
その頃、ご予約商品として承っておりましたが、どうにかこうにかご予約を頂いた方には商品が送れたもののその後の販売がB品で出来ない事ばかり。
作る工程もたくさんあり、細部の作りの難しさも手伝って、本当に「必死」でした。
しかし、商品のB品で必死はまだ良い方でした。
このあと、受けた試練はきつかった。
2003年から精一杯製造したストレージバッグは、翌年2004年10月に上陸した大型台風の水害で製造工場の機械が使えなくなり、ご高齢の職人さん達にとっては、機械を直してまでする事も出来ない、また一部の方は、力を落とされ病気になられた方もおられました。
たくさんの工程の上で作られていたストレージバッグは、その工程工程の間のたくさんの職人さんを無くしてしまいました。
しかし、最後の砦として、材料があるものだけ時間がかかっても良いなら、かなえと作ってあげるよ。と話が舞い込み、資材を運んで、「どうにか作って下さい。お願いします。」と相棒と頭をさげてお願いしました。
それほどまでに、あの時、グラスマーブルからストレージバッグが無くなってはいけない。と強く思っていたのです。
しかし、この事は実際に全てが終わりストレージバッグの生産を待たなくて良い日々がやって来ると、運命として受け入れられるようになっていました。
何故か?次の問題が起こって来たからです。
2)工具は完璧だと思っていたのに…。
当店が取り扱っている工具は、新潟県のトップ工業さんの商品です。トップ工業さんと言えば、工具の老舗です。
長く生産を手掛けていらっしゃるので経験も高く、心配のない工具でしょう。
しかし、問題は起こりました。お客様からたくさんのクレームが来たのです。
工具はケースに入り閉じた状態でお客様のところにお届けします。そのケースから取り出すと、刃が開かない。手持ちのところも開かない。と言うではありませんか。
すぐさま、回収を致しまして、問題の無い工具をお客様にお送りし、こちらではトップ工業さんにこのクレームに対する検証をして頂くことになりました。
トップ工業さん全体としては、もっともっとたくさんの物を売っていらっしゃいましたがこの工具については、当店がとにかく多く販売していました。
精一杯、検証して頂きそれから以後は問題の無い工具をお届け出来ています。はぁ~やれやれ、今回の問題は解決をトップ工業さんがしてくださったから助かった。
そんな問題をクリアにし、半年程立った時…またもや職人さんの問題が起こって来ました。
3)ビーズチェスト(5段引き出し)の生産が出来ない
ストレージバッグの生産が出来なくなった今、ビーズチェスト(5段引き出し)の存在は当店では大きかったです。もちろん、ストレージバッグのような持ち歩きは必要ない、いるとしたらビーズチェストの方だ。
そういう意見も多く頂いておりましたので、ビーズチェスト(5段引き出し)は、コンスタントに生産をする。という心持で動いていました。
「ちょっと、問題発生!ビーズチェストが作れなくなるんだって、すぐに帰って来て。」と相棒から連絡。
「えっ?」
工場からの連絡でした。
それまで作って頂いていた職人さんが仕事をたたむとの事で、ビーズチェスト(5段引き出し)の作り手さんがいなくなってしまいました。
別の職人さんを探しますので…と担当の方が、「頑張りますので」と四方八方動いてくださいました。
その間、しばらくビーズチェストの製造はありませんでした。しかし、お客様にはストック分がありましたので、まだ告知をしていません。
告知をしない間に、職人さんが見つかりました。
良かった!これでしばらく製造が出来る。と思っておりましたが、担当の方がおっしゃるには、「安心はまだ早い。今回お願い出来た方もかなりのご高齢で。」
と、実はビーズチェスト(5段引き出し)は次々と職人さんが変わっていった商品です。
その度に、もはやこれまでか!と何度も思いました。
15年もの間に、4度変わりました。
ビーズチェストの生産では、度々の生産中止の危機を感じながら、しかしまた、ワークボードも問題を抱える日ばかりでした。
4)ワークボード、素材の調達
ワークボード(作業トレイ)も木製品で職人さんにひとつひとつ作って頂きますが、こちらは2度ほどの職人さんの変更で、どうにか切り抜けられました。
が、しかし作業面に貼る布が無くなった。という事態がやってきたのです。
当店のワークボード(作業トレイ)は、意匠登録を済ませた商品であるために、これまでの布が無くなったら、別の違う色でもいいよねーーー。とは言えません。
何としてでも同じ物を探す必要があります。
小さな商いでオリジナルを作るという事は、なんて問題がたくさんあるんだろう。と 思いました。
ゆっくりできる日はありません。
しかし、あきらめません。
わたくしは、とびっきりの頭もありませんし、人脈もありません。
世間も知らないので代替品を考えるすべもありません。
グラスマーブルが頼れるのはお客様の言葉だけです。
ただ、「あきらめない」その事だけは強く持っていました。
「あきらめない」でいられるのは、窮地に立った時こそ、何故か、お客様の感謝のメールが届くんです。
お客様の言葉が、どんな時でも「あきらめきれない私」を作ってくれました。
なので、このワークボードの布が無い。という大きな問題も、「どうされますか?もう反物を作るしか方法がありません。」と言われた時でも「それならば、作りましょう。」「1反となると、かなりの数のワークボードになりますが、大丈夫でしょうか?」「ここで終わる訳にはいきませんから、1反作りましょう。」小さな一歩ですが大きな決断をする事になりました。
5)生産に問題の無い商品なし。
さぁ、皆様
ここまで読んで頂いて、2003年から「ストレージバッグ」「ビーズチェスト」「ワークボード」「ビーズケース」「工具」で運営をしてきたグラスマーブルですが、この中で【問題を起こさなかった商品】があるでしょうか?
そうなんです、まだビーズケースのお話をしていませんでした。今はビーズケースは、大阪のプラスチック工場で生産しています。
人の良いおっちゃん社長が、わたくしよりももっとこだわって、商品にしてくれました。
第三章のビシっと寸法の合ったビーズケースが絶対に必要。のところでお話した親切な会社様は、長くご協力を頂いたものの、やがて
「当社ではこのプラスチックケースをこれからも作る予定ではあるのですが、
御社の注文に応えるために、より多くの生産が必要になり、それには時間はかからないのですが、御社に送るために梱包するための人材を確保しなければならなくなりました。
が、しかし当社はプラスチックケースを販売する会社では無いので、その部分に人材を雇用する訳にはいきません。
大変申し訳無いのですが、自社生産して頂けないでしょうか?」
随分、ご迷惑をお掛けしていたことにこの時初めて知りました。
さっそくプラスチックケース工場を何軒かあたって、この精巧な合わせ蓋のプラスチックケースを作る工場を探しました。
出会った今の工場のおっちゃん社長にお願いしよう。間違いない。と思ったのは社長が、自分の作った商品が可愛くそしてとても大事だと思う心が同じだと感じたからです。
この方に作ってもらった物なら間違いない。
この問題の回避からは、問題なく生産が出来ている商品です。
第10章 グラスマーブルを運営する「志」
わたくしがグラスマーブルにこんな会社であろう!とする「志」らしきものがあるとしたら…(そうかっこの良いものではありませんが)
一度商品を手に取って下さった方が、何年かしてまた訪れて下さったときに、「そうそう、これこれ。」とずっと同じ物を手に取ってもらえる事。
わたくしは「流行」を売りたくないのです。
生活の中で、これと同じ物をまた求めたい。と思う事ありませんか?しかし、今の時代は新しいものをどんどん見せていかないと会社は存続できないように出来ています。
お客様に新しい物、驚くもの、まだ見ぬ世界へ連れて行ってくれるもの…そんな提案をしなくては、存続しない。と言われています。
しかし、わたくしはその逆行をあえて選びたかった。だって、使い勝手が良い物なら、使えなくなった時また同じ物が欲しいじゃないですか。
ただ、進化するとしたらお客様の声に応えていく。その部分だけを考えて来ました。
ビーズやアクセサリー制作をこよなく楽しむ方々に、わたくしが使ったらいいよ!と思える商品があなたの良きパートナーになる事を期待しています。
グラスマーブルの誕生物語でしたのに、誕生から成長記録になったかもしれません。少しでもグラスマーブルの存在価値を知って頂けたら幸いです。
葉月硝子
